20160119 承認こそが幸せな世界

必修の試験があった。必修は通年で3つしかなく、進級にはその内の二つを取れば良い。前期で一つ合格しているのでこの試験をパスすれば進級が確定することになる。しかし裏を返せばこれを落とすと残りの一つを落とせなくなるということだ。進級は近いようで遠い。今回の試験は気を抜けない戦いだった。

だがそれは杞憂だったようだ。前日に十分に睡眠をとったお陰か、時間は際どかったものの全ての問題に答えることができた。直前に対策していたところがそのまま出題されたため、他学生が苦戦しているだろう問題にも自信がある。満点近く得点できているはずだ。もし仮に落とされるとすれば。それは出席点の原点だけで既に不合格になっているくらいしか考えられない。そのくらい出来がよかった。

試験後の反応は皆まちまちだったが、私の知り合いたちは凹んでいる者が多かった。半分くらいしか取れなかっただの、留年リーチだのと嘆いているのが大半だった。その中で私は優越感に浸っていた。満点近く取れたぜwと何食わぬ顔で自慢したかった。羨ましいと少しでも思われたかった。承認されたかった。だがそれをすればあっという間に嫌な奴になる。テストの結果を訊かれてもまあまあとだけ茶を濁した。そこまでは良かった。そこまでにしておけば良かった。

だが私は承認欲求を抑え切れなかった。Twitterで呟いた。知り合いの一人にフォローされているアカウントで、めっちゃできた、とツイートした。ツイートするだけなら、自慢とは取られない。いや自慢ではあるのだが、不特定多数に向けられたツイートである以上、彼はこの呟きを試験で失敗した者への当て付けと解釈するわけにはいかないのだ。これで彼は私が試験で上手くいったことを知るだろう、私を羨むだろう。そう確信した私は望んだ通り承認欲求を満たし、満足感に浸った。

数時間後、凄まじい自己嫌悪に襲われた。もし彼の立場だったら、私は絶望するだろう。テストで思うように点を取れず、留年が見えてきて、どうしようもなく不安で、他の人も同じように失敗してないかなと微かな希望を抱いている人間に出来を自慢する私は鬼だった。どんな形であれ試験に失敗し落ち込んでいる人に自慢なんてするべきではなかったのだ。私はゴミだ。どうしようもないゴミだ。

承認欲求は汚い。こんなものに振り回されるのは本当に納得がいかない。だが恐らくこれを受け入れなければ幸せに至れない。どうしようもない。世界を受け入れられるのはまだ先になりそうだ。

分からない

今日の予定はバイトだけだった。バイト前の時間を有効に使えないたちなので家を出る直前に起床。急いで支度をすると予想以上に時間が余る。少し作業をしようとpcをつけるも流石にそこまで悠長ができるほど時間はなく、何も進捗を生むことなく家を出る。やはりバイト前の時間は何もできない。

講師の一人に

「〇〇さんどんどんイケメンになりますね〜」

と話しかけられた。
一応断っておくと私はイケメンではない(知り合いのオタクから「中の下」との評価を頂いたことがある)(下の評価を下さないところに気遣いを感じられて余計に悲しい)。だからそれは間違いなく冗談で、本意なわけがなかった。おそらくは多少は身なりに気を使うようになった私を気遣っての言葉だろう、と判断して「らしくないことを言いますねw」と返しておいた。
今になって考え直すとあれは不細工が不相応なおしゃれをして気持ちが悪い、ということなのかもしれない。真相は当人にしか分からない。イケメンに生まれたらこんなことで悩む必要はなかったのに。

教えてる高校受験生の偏差値が上がった。やはり結果が出ると嬉しい。去年は担当した受験生が落ちてしまい悔しい思いをしたが、今年は手応えがある。二度と同じ過ちは繰り返さない。

授業終了後に講師たちと色々雑談をした。彼ら曰く私のブランドが塾内で確立されているらしい。多分私の授業スタイルが塾内で認められつつあるくらいの意味だと思う(社交辞令に自惚れているだけかもしれない)。
自覚は全くない。確かに上手く授業できることは増えた。しかしそれは担当している生徒が良い子ばかりなだけだ。素行の悪い生徒は消え、私にとって都合の良い生徒が残ったというだけのことなのだ。
自分に合う生徒の授業だけをすること自体は私が望んだことである。「自分に付いてくる生徒を精一杯見てやればいい」と一年前に辞めた先輩(私が唯一尊敬している講師)は言った。その言葉を信じてこの一年を突き進んできた。今ならその言葉の通りに仕事ができていると断言できる。
しかしそれは自分に合う生徒ではなく、自分でも授業をこなせる良い生徒が集まっただけかもしれない。そんなことは誰にでもできることだ。ブランドなんてものはない。私が前者なのか後者なのか、真相は分からない。

Nは今日も早く帰ってしまった。もう少し残って話に混じっても良いではないか。なぜ早く帰るのだろう。真相は分からない。

分からない。分からない。人の気持ちがわからないアンドロイドになります。ウィーンウィーン。

再試験

今日は必修の試験日だった。7:30に起床。少し遅いが5分程度の遅刻で済むだろう。急いで家を出た。

電車が遅延しているようだった。しかしラッシュ時には珍しくもない。甘く見て電車に乗り込んだ。だがいつまで経っても発車する気配がない。結局20分近く止まり続けた。大遅刻が確定した。必修の、落としたら留年リーチの試験に大遅刻することが確定した。

だが原因は電車の遅延にある。事情を説明すればどうにかなるだろうと信じ、40分ほど遅れて試験教室に入った。事情を説明すると教授から「とりあえず解いてみ?」と解答用紙を渡された。やれるだけやったがやはり間に合わない。2/3ほど終わったところで打ち切られた。

試験後教授にどうするか聞いたところ、試験時間が足りなかったため追試をするとのこと。大遅刻で入室した時点で分かりきっていたことだった。だから人生初の追試を食らったという事実はすんなり受け入れられた。それよりも何故わざわざ問題を解かせたのかわからなかった。元々追試なのはほぼ確定していたようなものだ。私が少ない時間の中で必死に解いたのは全て無駄になったのだ。本当にげんなりした。

試験後は知り合いと昼飯を食べた。その場のノリでツイッターのアカウントを教えてしまったが正直失敗だった。「下ネタこそ正義」と言わんばかりの呟きがどうしても受け入れられなかった。人生初のミュートを使用した。

昼食後はそのメンツと少し試験勉強して帰宅。思ったより理解度が低かったので気合を入れていきたい。

今日は何もしなかった。むしろ追試とおうマイナスポイントを抱えてしまった。ああ24時間くらい時を巻き戻せないだろうか。

寝取られた(2016/1/13)

最近寝取られ事案が多い。といっても二回位だと思うが、これまでと比べるとかなり多い方になる。

バイト先の塾でのことだ。冬休み前にとある生徒から指名を受けた。つまり先生を私にしてほしい、と連絡があったのだ。悲しいことにこれまでの私は指名を受けるどころか、先生を変えるようにクレームを受けることの方が多かった。一時期私の悪い噂が塾内に流れて不当な扱いを受けたこともあった。それが今回このように指名を頂くまでになったのだ。飛び上がるほど嬉しかった。

しかし当時私の授業に空きがなかったため、一時的に他の先生を担当にして空きができるまで待つことにした。幸い1月中には枠が確保できるのが確定していた。だから2月以降私を担当にする前提で話が進んだ。

とにかく彼の授業をするのが楽しみだった。彼は人の話をよく聞く良いやつだったのもある。だがそれ以上に私を選んでくれたという事実が強力だった。いつも適当な私らしくもなく彼の教科書に合わせた教材を作ったりもした。今思えば当時の私は完全に承認に振り回されていた。

ところが、日が経つに連れて担当を私に変える話は薄れていった。言葉にはできないが、生徒とその講師が授業をしている姿から、そのような流れを見てとるように感じることができたのだ。そして昨日決定的な場面を目の当たりにした。一時的な担当であったはずの講師が別の講師とカリキュラムの相談をしていたのだ。2月以降は私が担当するのだからわざわざする必要のない作業だ。これはもう確信せざるをえなかった。一応講師本人に確認してみた。

「〇〇君の担当ってもう××さんになる感じですかね」

「そうみたいですねー」

違う。あなたは代役だったはずだ。なのにどうしてもう担当した気になっているんだ。どうしてーー

しかし燃え上がるような怒りもつかの間、私を支配したのは深い諦観だった。その生徒を取り戻すにしても今更何ができるというのだ。指名を受けたことを指摘して社員に無理やり担当を変えさせるのか。そんなことが許されるはずがない。生徒は私の所有物ではないのだ。加えてその講師はバイトを始めてから数ヶ月の新人だ。私の我儘で彼から生徒を奪うのは酷過ぎやしないだろうか。

色々考えて、この流れは覆らないだろうことを悟った。だから彼に、汚い感情を見抜かれないように冗談を交えて、

「いやー受験生を担当させられるんじゃないかってヒヤヒヤしてたので助かりましたよ。これから大変かもしれませんが、頑張ってください。」

そう伝えた。もしかしたら嫌みたらしく聞こえたかもしれない。でもそれが私の精一杯だった。

結局人が人を所有することはできない。所有される人は決して物ではない。加えて他にその人と関係を持ちたい人もいる。それらを無視して独り占めすることは許されないのだ。

私はこの先ずっと寝取られ続けるのだろうか。それとも寝取られることも受け入れなければいけないのだろうか。分からない。この強すぎる独占欲のやり場が見当もつかない。

もう私が信用できるのは物だけだ。物であればいくらでも独り占めできる。そうだ、明日はラブドールを買いに行こう。ラブドールを、私だけのものにしてしまおう。人間関係の中で辛い思いをするのはもう嫌なのだ。

まあ買わないけど。

おとなになった

のんのんびより風にしました。
 

成人式から日が経ち過ぎて記憶がおぼろげだが要点だけまとめておく。

 
小学生の頃のノリが通用すると思いこんで痛い目にあった。彼らとて無駄にこの8年を過ごしたわけではない。私が私なりの8年を過ごしたように、彼らも私の知らない彼らだけの時間を歩んだのだ。だから、多分中学から地元を離れた人間が期待するようなものはそこにない。
 
八年の歳月は人間関係を良い方向に進めると考えていた。仲が良いやつとはあの時と同じように語り合える自信があったし、当時色々あった奴等とも、わだかまりは長い時の流れの中で角が取れて笑い話として流せるような余裕が生まれると確信していた。しかし現実はそうでもないようだった。
 
彼らは当時嫌っていたやつをまだ嫌っていた。あの頃避けられてたやつは今でも忌み嫌われていた。多分私もその一人なのだろう。時間は何も解決してくれなかった。
 
終わったと思われた過去は、実は終わっていなかった。過去の記憶は、小さなコミュニティの中で長い年月をかけて脚色され、濃縮される。彼らはそうして出来上がった黒くてどろりとした何かをことあるごとに取り出し、匂いを嗅いでは顔をしかめたに違いない。私には止めることができなかった。仕方のないことだった。
 
良いイメージはより最近の良いイメージに駆逐される。あの頃は確かに親しかった。けれども中高時代の友人には勝てない。かつての親友たちは同じ高校の人達と固まってしまっていた。結局彼らとは何も話せずじまいだった。
 
「あの頃」に抱いていた幻想は全て打ち砕かれた。全てが悪い方向に進んでいた。多分現実から目を背けて過去に救いを求めただけなのだろう。しかしそれは甘えだったのだ。結局は今身を置いている人間関係の中で生きるしかない。ただその事実だけがずんとのし掛かった。

味わいのあるセルフポートレート

プログラミングの授業でのこと。

 

私「試験は筆記なんですか?」

教授「はい」

私「パソコンでコンパイルしないと正確にプログラミングできてるか分からないじゃないですか」

教授「そうだけど、一回で正確に書くのも大切だから」

私「正確さは重要ですが、一発で正しく書き上げる能力は必ずしも必要ではないでしょう」

教授「多少のミスは気にしないで大丈夫だよ。

いや学生たちと話すと面白いねえ。昔は自分も学生だったのに今となっては君たちの考えが新鮮に見える」

 

こう書くと教授が私たち学生を馬鹿にしているように見えるがそうではなく、実際に学生とのコミュニケーションを楽しんでいるようだった。

私自身も教授とほとんど会話を交わしたことがなかったので貴重な体験だった。ああ、教授って会話するんだ、そんな当たり前のことを考えていた。教授はみな研究一筋の基地外だと思っていたがそうでもないらしい。もしかしたら彼らと話せば色々と知見が広がるかもしれない。実行に移すかはさておき。

 

授業後はパソコン室でプログラミングの課題を消化していた。描画ソフトで「味わいのある、怒っているセルフポートレート(自画像)」を作りlatexでpdfにしろとのことだった。何が「味わいのある」だ。いい加減にしろ。

 

試作品

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怒っている、というよりは暴れているだけかもしれない。

遊戯王のモンスターカード「怒れる類人猿」を強く意識している。

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しかし余りにも動的すぎてポートレートには不適切と思われたため不採用となった。実際に提出される予定のものは以下。

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味わいがあるかは置いておくとして、むっとしているのは伝わると思う。

 

課題を片付けてから大学を出た。Nの家があるらしいあたりを回って駅へ向かった。もしかしたら遭遇するかもしれないと思ったからだ。異常な行動をしているのは自分でも分かる。だが傍から見れば遠回りして駅へ歩いているだけであるし、彼女と遭遇しなければ本当にそれ以上の意味はない。許される範囲ではなかろうか。暫くこれは続けるだろう。