日記的なものを書きたくなったので月記

10月のツイートを並べて今月を振り返るの巻

  • とんでもないものに目をつけられたかもしれない

バイト先での事件

女「そういえば○○(私)さんと飲み会でご一緒することが減りましたね」

私「そうですね」

女「○○さんと一度くらいは飲みに行きたいですね、、いや○○さんとなら二回でも三回でも行きたいですね」

私「そうですか」

からの呟き。

勿論この女性が美少女であれば、いや平均的な容姿さえあれば「とんでもないもの」などと表現はしない。つまりはそういうことだ。加えて彼女は論理的な会話ができない。言葉を選ばずに表現するならば、精神、身体、ともにダメ。まさしく「とんでもないもの」。

この件の真の問題は、わずかながら承認を得たような気になったこと、ダメダメな僕でも好いてくれる人がいるのかもしれない、と希望を持ったことだ。自分はなんとレベルの低い人間なのか。深い自己嫌悪に襲われた。

一人の女をボロクソにディスっておいてその態度は何だと突っ込まれそうだが反省など一切する気はない。彼女は私の人生において他人なのだから。

  • 花火の良さに気づいたという訳では決してないんだけど、じっくり眺めてたら火が立体的な意味で放射状(球状)に伸びてることに気付いて、まあ当たり前のことなんだけどおおーってなった

 花火のよさとは何だろうか。

発展性が物事の意味だと考えている私にはただ打ち上がるだけの花火に価値を見出せない。ただの炎色反応。

  • 他者と協調して共同体全体の幸せを願うことは人の生において本質的なことではない(生に本質など存在しない)から、もし仮に殺人にのみ快楽を覚える人がいたとしても彼の幸せの探求を否定できる者は居ない、と考えてたんだけど流石に暴論な気がするしどこで間違えてるんだろう

任意の人は任意の価値観、倫理観を持つことが認められる、という考えを表したもの。

私がポケモンが好きだろうが嫌いだろうが責められる謂れはない。どのような価値観を持っていても私の勝手だ。同様に他者と強調して共同体全体の幸せを願おうが願わなかろうが関係ない。

また任意の倫理観が許容されるならばそこに本質はない。何でもよいのだから。だから人生に本質はない。

こんな具合。今でもこの思考は正しいと信じている。いつかこれは記事にまとめようと思う。

  • 今日はone of the most oshanty otakusとお買い物です

サークルで知り合ったおしゃんてぃな東方オタクに服選びを手伝ってもらったやつ。

服買って時間が余ったからカラオケ行って京都行く約束した。

やつはいいやつだが私としてはいろいろ思うところがある。要は「彼はなぜ私に付き合ってくれるのか」という問題。彼自身には全く問題がないのだが、その彼がなぜ私に声をかけてくれるのか完全に不明。彼なら私よりも出来の良い友人がいくらでもいるだろうに。まあこの話も今度まとめる。

  • 色々考えたけどやっぱり僕にいわゆる「嫁」がいない理由がよく分からないな

嫁がいません。単純にそれだけ。

後日色々考えて出した結論は、「自分の好みに向き合って絞り過ぎた結果、大部分の二次キャラが私を幸せにできそうであることが分かったため」というもの。承認してくれそうなキャラなら何でもよいのだ。だから1番に当たる存在が無数にいることになってしまった。

まあそれでも良いとは思うが。少々寂しいような。

  • 小学校の頃好きだった女の子に告白される夢

そのような夢を見てその後三日間くらい悶えた。

この件の問題は、もう会おうと思っても会えないこと。私が好きだった彼女は知らぬ間に引っ越してしまった。連絡先は勿論ない。多分成人式で再会とかもない。残念。

唯一の頼みの綱は妹。妹は引っ越した後に奴と一度遊んでいる。聞けば連絡先を抑えることができるかもしれない。だが妹は勿論、連絡を取れば向こうからも怪しまれる。「夢に出てきたから連絡した」…ただの変態。

 

十月前半はこれでおわり 後半は元気があれば

 

元気ではないが後半書きます

  • やたら理由とか理論を知ろうとするのはそういうのが好きなのではなくただ楽したいからな気がしてきら

工学より理学、実践より理論が好きだ。そう信じてきた。しかしそうではないのかもしれないというのがこのツイート。

理論の意味、意義とは何か、これについては諸説あるが、事実として理論は様々な現象に応用することができる。そして時に単純作業では大変な手間がかかるものを大いに楽に処理することができる。私はこの点が好きなのかもしれない。楽できるから。

好きとは何だ。

好きとは説明のできない感情だ。だから説明ができるならそれは好きではない。いや好きという言葉を当てても良い(そうしなければ日常会話が成立しない)が、本質的な好きではないのだ。

私はポケモンが好きだ。しかしこれは説明が可能だ。何故なら、「何故ポケモンが好きなのか」という質問に「ポケモン対戦で相手を打ち負かすのが好きだから」と答えることができる。では相手を打ち負かすことが好きなのか?。いやこれも説明可能である。「優越感や承認されたような感覚を得られるから」と。以下同様。この操作を繰り返し私がたどり着いたのは「(自分の認める)他者に認められるのが好き」だ。私はこれに何故と問われても「好きなものは好きだ」としか答えられない。だからこれが私の真の「好き」だ。

これも後日に回そう。

  • バイト先のオタク達と飲み会抜けてカラオケ来た

ただのカラオケではない。男二人女二人。私史上最も女比率の高いカラオケだ。しかも女二人はオタク。最高。

バイト先での一次会が終わり二次会へ行く流れに。次の店に移動するタイミングでちょうど場に居合わせたのがオタク五人。二次会は他の部署の方も来るということで皆行きたく無さげな上に前々からオタクでカラオケ行こうと話していたので、これは行けると判断しカラオケに誘うと皆乗ってくれた。二次会へ向かう流れをこっそりと抜け出して四人でカラ館へ(一人はどっかに消えた)。

記憶は酒のせいで定かではないがまあ楽しかった。そしてあのタイミングでカラオケに誘った私ナイスだ。あと皆歌唱力高過ぎたのでもう少し修業したい。

  • 飯を食いに行ったせいでバイト先の人からもらったパンを食べるタイミングを逃した感ある

人身事故でバイトに来れなくなった女子の仕事を肩代わりした際にお礼としてパンを貰った。それだけ。童貞はそれだけで喜ぶ。しかも私は彼女の事が割と好きなので尚更だ。本人は別の人が代行してると思い込んでいたらしく、パンも私宛に買ったつもりではなかったと申し訳なさげに言っていたのだが、そんなの関係ねえ。「女の子から」「貰った」これだけで十分だ。

自分で書いてて悲しくなってきた。

 

以上。来月やるかは気分次第。