年金

親に年金の話をされた。

 

将来の自分の話なのだからよく考えて払うか決めろと説明された。

まず「そもそも年金を払って得をすることがあるのか」を確認したかった。もしどんなに世界がうまく回っても払った分を取り返すことができないのであれば払う必要はない。取り返すことができる可能性があった時に初めて払うか否かの議論が始まる。年金を払っている親はその辺を把握しているに違いないと思い確認をした。ところが親の反応は記録が消えたらどうだのこれからの日本はどうだの要領を得ない。要点はそこではない。リスクに対してメリットの方はあるのかと聞いているのだ。それなのに延々と同じ話を繰り返して、ついには我慢ならず切れてしまった。普段は切れないようにしているのだが、一度相手が頭が悪いと決めつけてしまうとどうにも態度が大きくなってしまう。一貫性が足りない。しかも切れ方が性質が悪い。延々と同じ話を繰り返して私の質問に一向に答えてくれないところに腹を立てているのだから、そこを指摘すればそれで十分だった。それなのに「あなたたちの世代が今の信用ならない年金制度を作ってきたくせに随分と横暴な態度だ」などと思っていもいない筋違いなことで責め立ててしまった。あの時は自分が自分でないような感覚だった。普段の自分なら絶対そんな滅茶苦茶な屁理屈は使わないのに。やはり格下と見なしてしまうとけちをつけたくなるのだろうか。本当にみっともない。一貫性。一貫性。他の人にも同じことを面と向かって言えるのか?一貫性、一貫性。

 

結局話は中断して自分でよく調べることになった。払うのが面倒だったし学生時代と就職以降ではお金の重みが違うので、未来の自分にまかせることにした。

 

あと親に追加で駐輪場を借りる許可を取った。これでロードバイクを買える。

来週の木曜かな…

 

友人に貸す約束をしている本を読むのに忙しい。

貸す私が語れないのもおかしな話なので仕方なく目を通しているのだが、少々骨が折れる。

自分の読みたくないものを無理に読むのは辛い。

こんな無理を強いられないようにうまく立ち回ろう。

 

終わり。