会話

夜遅いが今日何も書かずして何の為のブログなのか分からなくなるぐらいには色々あったため記す。ちなみにこれを書くのに4日くらい掛けている。

少し寝坊したため一限に時間通り出席することは諦め、のんびり駅へ向かった。
人がごった返して地獄のような車内の中で小学校の同級生を見つけた。幾度か駅で見かけたものの話しかけることが出来ずにいたが、いい加減話しかけてもいいのではと思い声を掛けた。思ったより美人で驚いた。過去の奴の所業の8割を許してしまいそうなぐらいには可愛かった。諸事情あり彼女の情報を多少は知っていたのでそれに沿って会話を進めた。どうやら私の大学へ進学した同級生は少ないらしい。乗り換えるため途中で別れた。約1ヶ月ぶりぐらいの女子との会話だったように思う。

友人からCDを借りる約束をしていたこと、メール対応をしていたサークル参加希望者が体験に来ることから久し振りにサークルに顔を出した。
永らく行かなかったため肩身の狭さが半端ではない。新歓合宿でもお世話になった数少ない友人を盾に凌いだ。
体験に来た方は女性だった。私が色々対応していたこともあり必然的に会話することになった。がしかし驚くほど会話が持たない。慣れないことはするべきじゃない。話が途切れそうになっては他の奴を無理矢理会話に混ぜて逃げるのを何度も繰り返して誤魔化した。餅は餅屋に。適材適所。私の出る幕ではないのだ。

練習後はCDを借りて帰宅。

夜に母親に呼ばれた。近所のお姉さんから電話が掛かってきたという。何か迷惑でも掛けただろうか。または彼女の弟の勉強を見て欲しいなどだろうか。心当たりが全くない。恐る恐る電話に出ると「スキャナの使い方が分からないから、パソコンが得意そうな君にお願いしたい」とのことであった。
状況が把握できないため向こうの家まで行くことになった。私がパソコンを弄り始めると「良かった」だの「これで大丈夫」だの騒がれた。意味不明である。私はまだ何も成していないのになぜ喜ぶのか。「パソコンが壊れたと騒ぐ女子は直して欲しいのではなく同情して欲しい」という内容の画像が流れてきたのを思い出した。あれは紛れも無い真実だったのだ。何故性別によってこんなにも性格が変わってしまうのだろうか。理由は一切不明だが、ただ一つ確信できるのは、心身二元論はどうしようもなく間違った主張であるということである。

私にしては珍しく女子と3度も会話して只々疲れてしまった。記事の進みもさっぱりである。
女とは波長が合わない。弱め合いしか起きない。出会い、契りを交わし、最期まで共にする彼らは弱め合わないのだろうか。
唯一会話がスムーズに行えたのは電車で遭遇した子だけである。彼女には失礼だが、その理由は彼女が男の心を持っているからであるからだと推測する。彼女と話しても男友達と話している気しかしなかった。
ではそんな女性を見つければ良いのではないか、という人があるかもしれない。しかし彼女は男友達の延長としての関係に納得するのだろうか。少なくとも私が女性から「女っぽいから気楽に話せる」などと言われれば凹む。間違いない。
女性の心の女性としての良さを発見するに至らない。体にしか価値を見出せずにいる。深い話は別の記事に回そう。ただ一つ言えるのはそれを探さないと一生関係を築くことはできないだろうということだ。