無意味なことと美しいこと

不思議の国のアリスを読んだことがあった。当時プレイしていた「素晴らしき日々」にそれを引用したと思われる箇所が散見されたからだ。きっと物語に関係するに違いない。何か強烈な教訓が仕込まれてるに相違ない。そう確信して読んだ。

 

無意味だった。ただ無意味だった。当時の自分からすれば滅茶苦茶だった。

ある日アリスは穴に落ちて不思議の国に迷い込む。不思議の国の住人達がする話は、筋が通っているようで全く通っていない。論理も常識も通用しない世界をアリスは冒険し、そして夢から目覚めるー

記憶が曖昧だがこんな話だった気がする。要は論理が滅茶苦茶な上に夢オチ。読み取れるものなど何1つない。こんなゴミ2度と読むか。そんな感想を持った記憶がある。

 

先日とあるブログを読んだ。小説だった。「あとは任せたぜスイッチ」でググれば見つかるだろう。辛くなる度に「スイッチ」を押すが結局何も起こらない。恋人(名前がまた面白いが忘れた)と上手くいかなくてまたスイッチを押すが何も変わらない。ただそれだけ。多分、何の意味もない。

 

良かった。素直にそう感じた。何故良いかと問われると説明が難しいが、強いていうなら美しい。不思議に満ちている。それは色々と有耶無耶なまま最終回を迎えたアニメの感想にありがちな「謎が残されているのが良い」のような、分かったような口振りで語られる「不思議」とは違う。そもそも無意味なのだから、謎など初めからない。ここでいう不思議とは、この世とは違った論理や倫理の体験だ。荒唐無稽なのに、「こんな世界があってもいいのかもしれない」と感じる。1つの可能性と感じる。だから美しい、というとそれは飛躍があるかもしれない。だが大体、そういうことだ。

 

ずっと「意味のあるものだけが大切だ」という命題に縛られていたように思う。分かりやすい例を挙げれば花より団子、つまり桜の美しさを理解できなかった。芸術が全く分からなかったし、小説を読んでも「で?」となるだけだった。

 

今ようやく美しいということを理解しつつある。美しいことは必ずしも意味を伴わない。いや恐らく意味のある美しさなんてない。美しいものは美しい。それ以上でも以下でもない。美しいから何だと問う人は、美の本質を理解していない。良いものはそれだけで良い。そのことが、あの頃の自分はわかっていなかった。

進捗0

月曜に出勤した。Nと会うためだった。

進捗0だった。帰りに電車で話すつもりでいたがNNがいたためあまり深い話ができなかった。

次の月曜のヘルプを断ってしまった。セミナーが近いのを考えての選択だった。またNとの接触の機会を失った。どんなに忙しくても己が楽しむための時間は全力で確保するのが私の信条のはずだった。今それが崩れつつある。

もうダメだ。

20170213/20170217

語るべきラインが2つある。

 

20170213

NNから業務連絡のラインが入った。

一通り連絡が済んだ後。

 

幼女戦記見てますか?」

 

なんか面倒なことになりそうだと思いつつ対応。

 

幼女戦記大好きでop歌える云々」

「めっちゃ好きですね笑」

「カラオケ行きましょうよー」

 

まあこれをやりたかっただけなんだろうって感じではある。

面倒だと感じた。同時に嬉しいというか、悪くない気もした。多分ラノベの「やれやれ系主人公」になれたかのような感じなのだと思う。女子にカラオケに誘われるという喜ぶべき状況をめんどくさいと切り捨てられる自分に酔っている。これが一番近い。

 

気持ち悪い。

 

20170217

Nのラインをようやく入手したので試しにメッセージを送ることにした。あんまり唐突な内容だと違和感が残る。以前飲んだとき不仲な妹のことを執拗に聞かれたので、妹に話しかけて無理矢理話題を作った上でラインした。

ラインは妹の話から漫画の話題にシフトし、会話が上手くいってるかに見えた。

突然面倒くささに襲われた。自分から好きな異性にラインしておきながら面倒なのだ。いや本当はラインを続けたい。だが、メッセージのやり取りを続けることに果てしない労力を要する。Nは何を考えているのか、冗長なやり取りに退屈していないか、実はもうやめたいと思っているのではないか……。様々な可能性を送られてくるメッセージの積み重ねだけで読み取らねばならない。やはり私はコミュ障なのだ。この苦行に耐えきれなかった。途中からは他のことをしたいと思っていた。会話が切れているか否か微妙な段階でこちらから返信をやめた。

こんな神経をすり潰す行為を幾度と繰り返すのは限界がある。だがNと会う機会が少ない以上こうしてつながりを持っておきたい。慣れなのか。慣れればどうにかなるのか。辛い。

20170216

セミナーで死んだ。

もっと上手くやれると根拠もなく信じていた。数学力が極端に低いこともないと思っていたし、輪講も秋の授業で多少経験していた。扱う本を決めるのがセミナー6日前と少々遅めではあったがどうにかなるだろう過信していた。

だが結果は散々だった。まず定義をしっかり言えない。脳内にはイメージがあるのに言葉にできない。人に説明するには自分が理解しているだけでは不十分という事実が分かっていなかった。説明手順もおぼつかなかった。教授に指摘された「どれが定義でどれが主張(定理)なのかはっきりさせる」「解説を始める時には結論を先に書く」などの注意は言われてみれば当たり前のことだった。所詮自分は初歩の初歩すら抑えられていないガキだった。

一番苦しかったのは記号の使い方や定義が不自然でセミナー中にクスクス笑われたことだった。私自身は教科書の言葉をそのまま使っているだけなのだが、「普通は星(*)は上につける」「圏論の観点からいうと〜」など、要は私は「常識知らず」らしかった。セミナー中に馬鹿を見下すような視線に晒されたのが不愉快だったのもある。だがそれ以上に「お前は数学のことを何も分かってない」という事実を突き付けられたのが辛かった。当然ではある。この一年間皆が図書館で努力していた傍でただひたすら雑談ばかりしてボケーっとしてたツケだ。今勉強しなくてもいつかどうにかなるだろうと盲信し、実際はどうにもならなかった。それだけだった。

 

次は上手くやる。このままやられっぱなしなのは癪だ。記号の不自然さは今すぐどうにかなるものでもない。できるところからやる。定義はしっかり言う。定義定理主張注意はしっかり区別する。先に結論を書く。これだけはすぐに直せる。次は絶対に上手くやる。

20170129

明日には試験が終わる。自由な世界への期待で浮き足立っている。だが最近の傾向を考えるに、解き放たれた瞬間に無気力になって自分が何をしたかったのか思い出せなくなる可能性が高い。そうなる前に一通りやりたいことをまとめておく。

 

・服を買う

ポケモンをする

・絵を描く

accessを頑張る、その他システム系も

・tensorflowに触ってみる

関数解析をもう少し理解する

複素関数にも強くなる

・アニメを見る

・早寝早起きする

・鍛える

・シャツを作ってみる

・カラオケ

音ゲー

 

20170116

Nとの旅行のことで頭が一杯になっている。ここ最近Nが母上から許可を取れるよう毎日お祈りしている。正直ここに自分の介入する余地はほぼ無い。最早祈るしかない。存在するかも分からない大いなる存在にただ願うことしかできない。

夢を見た。Nが他の人と行くからと旅行を断る夢だ。目覚めて心底安堵した。夢に見るまでになってしまった。頼むから上手くいってくれ。

 

般教の期末課題で意味の分からないレポートを提出してしまった。今思えば己の知識をひけらかしたかっただけなように思う。都合の良い議論に仕向けるべく課題の要求を無視して論を捻じ曲げ、結果何が言いたいのか分からないものとなってしまった。要は相手の要求に応えるべきところを自分の言いたい放題していただけということだ。本当に良くない。気をつける。

 

上の課題を処理すべく授業スライドを見ていて気づいたのだが、授業をさぼっている間にいつの間にか自分のレポートが引用されていた。初めは自分と似たようなことを考える人もいるのだなぁなどと呑気に考えていたのだが、よく見たら自分そのものだった。少し恥ずかしさもあるが、割と好意的に紹介されていたので良い。むしろ承認が満たされた。どうせなら出席しておけばよかった。「俺のなんすよwwwwwwww」ってしたかった。

 

結局課題を再提出したところ受理された。良かった。

進捗 20170109

Nとの関係に進展がないことに悩んでいた。

去年(2016年も去年になってしまった)の7月くらいからどうにかNともう一歩踏み込んだ仲になれないかと試行錯誤してきた。あれから早半年、成果自体あることにはある。2人でいるときは普段使わないタメ口になったり趣味の話が弾んだり。一緒に帰れそうなときは向こうから誘ってくれたりもする。遊びに誘うのにも抵抗がなくなった。

決して進捗がないわけではない。だが、それが私の想像している1つのゴールに繋がっているとは思えない。例えるならば、f(t)=-1/t(t>0)のようなものだ。単調増加ではある。tを大きくすればそれに応じてfは大きくなる。だがいくらtを大きくしたところで関数の値が0を越えることはない。そして私の目指すものは1なのだ。

 

1/9、昨日は成人式によるバイトの人手不足を補うべくヘルプに駆り出されていた。

決して嫌ではなかった。Nが出勤するからだ。私もNも試験前で会うタイミングがほぼ無い。バイトで被るくらいしか機会がなかった。

労働が終わり、電車でNと2人きりになった。他のバイトの人が台湾帰りとのことで旅行の話になった。私が去年に猛吹雪で北海道から帰れなくなった時の話題になるもどうにも会話が噛み合わない。雑な返事をしてしまい会話が止まる。

Nが春休みの旅行の予定について話し始めた。予定は1つ立っているが、それに加えて国外に行きたい、だが誘う人がいなくて悩んでいるとのことだった。

残念ながらここで「じゃあ自分と行きましょう」と言う勇気はなかった。冷静に考えて異性を旅行に誘うということは八割方"そういうこと"である。つまり、拒否されればそれはそれ以上の絶対的な拒絶の提示と同じである。しかしこのチャンスをどうにか活かしたい。神よ頼むディープラーニングってやつでなんとかしてくれ……

 

N「一緒に行きません?」

 

祈りが通じたっぽい。

そこからはごり押しして、とりあえず親に話をつけて二月くらいには許可を取ると言う話になった。異性と行くとなると親の判定が厳しいかもしれないとのことだったが適当に連れは女ってことにしておけと言った。とにかく必死だった。

まだ確定したわけではないが、これが現実になれば物凄い進捗に違いない。もしかしたら自分は0のその向こう側、そして1へ既に差し掛かっているのかもしれない。頼むNのお母様どうが許しを。