院試

が終わった。金曜に合格発表がある。来年の受験生のために簡単に内容を記す。

 

追記:受かった。

 

1、試験の流れ

・9時にキャンパス集合

・集合教室(残り全員)→待機教室(直前の3人)→試問教室(1人)の順で案内される。試問の順番は集合教室に張り出される。

・終わった人から解放

 

大きく分けてこう。

 

細かい注意を書く。

 

・一応集合に遅刻した場合失格というルールになっている。遅れた人が1人もいなかったため実際にどうなるかはわからない。

・試験開始からの大半の時間を集合教室で過ごすことになる。私語及び携帯の使用が厳禁なためただひたすらに待つしかない。教科書などは見ても良い。飲食は許可される。試問順によっては2時間近く待たされるため飲み物の用意をお勧めする。

・集合教室と待機教室ではトイレに立っても良い。ただし飲み物を購入して良いか聞いたところ試験監督が上への確認でかなり手間取っていた(結局許可されたが)ので、上述の通り飲み物は持ち込みを勧める。

・試問順が貼り出されるので、呼び出された受験番号と照らし合わせれば進行状況が大体わかる。

・9時集合のくせに試問が午後の場合がある。試問順の貼り出しに午後と記されてる人は12:30まで一旦解放される。

・試問順と受験番号、成績の関係はないように思われる。

・試験が終わった人から試問の内容を聞き出せそうな気がするが、一応禁止になっている上にそれはやめとこうみたいな空気ができていた。

 

2、試問

 

試問の流れを示す。

・入室、着席するよう指示される。

・志望動機を聞かれる。

・数学の質問をされる。

・たまに変なことを聞かれる。

・終わり。

 

詳しく書く。

・志望動機はあまり突っ込まれない。自分は動機の説明が終わった直後に「では数学の質問に移ります」と言われノータッチだった。

・周りに聴いた感じ、数学の質問は大抵解析、線形代数、専門の順。黒板があり、板書しながら説明するスタイル。質問の内容は人によって異なるが、自分の場合を記す。

 

解析:関数列の極限と積分を交換できるかという質問。詳しく書くと、

 

「閉区間から実数への関数列f_nがfに各点収束するとき、lim∫f_n=∫fが成立するか」

 

というもの。

「一様収束ならできると思います」と答えたら「一様収束の定義を述べてください」「一様収束しないなら絶対に等号不成立ですか」などと続いた。

人によってはいきなり一様収束の定義を聞かれたりしていた。

 

今思えば優収束定理とかの方が良かったかもしれない。

 

線形代数:すんげー簡単な行列を出されて、その逆行列があるか、あるならどう求めるか、分かるなら実際に計算しなさいというもの。まあ普通に分かるはず。

 

専門:セミナーと志望理由書に書いたことについて聞かれた。

セミナー:勉強している内容を聞かれた。どこまで読み進めたかを確認された後は簡単にその内容の質問をされた。自分の場合はde Rhamコホモロジーについて勉強していたので球面とかのコホモロジーとかマイヤービートリス知ってますかみたいなことを聞かれた。

志望理由書:「基本群をきっかけに位相幾何に興味を持った、と志望理由書にありますが」と切り出され、そのあとはひたすら基本群のことを聞かれた。

ぶっちゃけファンカンペンとか忘れかけてたので死んでいた。

諮問受ける前に一度志望理由書を確認しましょう。

辛い

何1つ上手くいかない。ああしたい、こうしたいなどの願望はあっても結実する気配がない。最近ずっとこんな調子な気がする。楽しみがない。昔は趣味とかいうものがあって、時間さえあればいくらでも熱中できた気がする。あの時の活力はどこへ消えてしまったのだろう。

ある意味で"大人になってしまった"のだと思う。多分あの頃ポケモンやエロゲに駆り立てた自分は今も脳の中に居る。しかし今は別の、実用的なことに時間を使うべきだと叫ぶ自分も同居するようになってしまった。2人の自分は常に争い、そのせいでいつもへばっている。結局何もできない。今はそんな状態だ。

 

違う。こんなことを書きたかったんじゃない。違う。楽しみを求めるのは、先行する辛さがあるからであって、副次的なものだ。私が今本当に悩んでいるのは、もっと普通の、人並みの能力があって、誰かに愛されるような人間になれなかったのかということだ。何故、自分には辛い時に受け入れてくれる存在がいないのだろう。今、この辛い日々の中、私は、1人で立ち向かわねばならない。仲間がいるなんて戯言だ。表面的な言葉のやりとりに始終するだけの仲なんてなんの足しにもならない。もっと深く、もっと本質的な、真の意味での理解者が欲しい。助言なんて要らない。苦しみの中でもがく私を受け入れてほしい。なのに、自分には。

経験がないので分からないが、恋人やそれに準じる存在がそれに当たるのだろうか。皆、なんだかんだでいるらしい。20年位生きていれば、普通はいるようだ。皆、好きで、好いてくれる存在が、いるらしい。実際、驚くほど居る。皆居る。なのに、自分には作り方が分からない。皆できるのに、何故私にはできないのか。

人並みじゃないからだ。仕草が不自然で、猫背で、ヒョロヒョロで、何考えてるのかよく分からなくて、言動も気持ち悪くて。そんなだから誰も愛さない。魅力が何1つないのだ。

 

どうすればいいのか。分からない。何も分からない。誰か助けて。誰か、だれか。

糖分

常時甘みを求めているような感じがする。多分糖分が足りていない(セミナーで結論を先に述べるように指導されたので先に書く)。朝にレッドブルが飲みたくなるのは、カフェイン中毒などの危険なものではなく、単純に甘いもので栄養補給をしたいのかもしれない。

もしかしたら、ここ最近(というよりは大学入ってからずっと)続く眠たさはこの糖不足から来ているのではないか。糖分不足の原因には心当たりがあって、朝食を取っていないのが響いているのではと睨んでいる。やはり三食食べる必要がありそう。だがそのためには生活リズムを直す必要があり、厳しい。難しい。

ぐんぐんグルとみたいなやつの需要が高まる。明日買ってこよう。

 

他に書くべきことがあるような気もするが、セミナーで疲れた。「週末」を満喫することにする。

20170423

お菓子が部屋に溜まりつつある。最近お菓子を貰うことが増えた。貰っては部屋の片隅に放っている。さっさと食べれば良いのだが、どうにも勿体無いような気がして中々手をつけられない。放置されたお菓子たちが、今私の部屋のいたるところに散乱している。一番古いものは去年の6月、私の誕生日に後輩からもらったクッキーだ。確認はしていないが、間違いなく賞味期限切れだろう。

 

多分、何かものを貰う機会がこれまで少なかったからだろう。頻繁に何かを受け取っているのであれば「勿体無い」などと感じるはずもない。今まで人付き合いが乏しかった分の反動、そういうことだ。

 

お菓子の1つに目が止まった。去年バイトの忘年会で貰った「MVP賞」だった。これもだいぶ古い。賞味期限は……これを書き始めた時にはまだ無事だった筈だが、今はすでに切れてしまっている。明日にでも食べよう。

 

このMVP賞は私にとって間違いなく栄誉で、同時に屈辱だった。昨年度の私の活躍は、自己評価でもそれなりだったように思う。初年度のクズっぷりを考えれば飛躍的な進歩だった。その意味でこのMVPを受け取る権利自体はあるのかもしれない。だが、もし活躍を正当に評価すれば貰うべき人は別にいる。「チーフ」として働く同期が2人もいるのだ。彼らの働きぶりは私の比にならない。彼らではなく自分が受賞したのは、彼らが評価する側の立場であるからだ。この賞は、結局はまだ自分は「そちら側」であるという烙印だ。素直に喜べようか。

 

思うに、彼らは評価する側の立場に成るべくしてなった感がある。そして自分はなれずべくしてなれなかった。彼らと私、何が違うのか。どうすればそちらに行けるのか。分からない。

20170330 課金

人生は課金ゲー。だから課金した。具体的にいうと、シャツをオーダーした。

 

夏はシャツだけで出勤することになる。流石にしょぼいシャツを着続けるのはきつい。いつかは注文に行かねばと分かりながら放置してきた。そろそろクールビズに間に合わなくなる。そう思って今日行動に起こすことにした。

 

以前オーダーしたシャツを父にディスられ、自分でも確かにこの生地はなあと薄々感じていたので、思い切って父が愛好してる結構強そうな店を選んだ。父に知られたくないので偽名を使った。住所も適当。できるだけ足がつかないように注意した。

 

注文の自由度が断然高かった。恐らくそこらへんの店だと襟袖ボタンあたりしか弄れないところを、加えてボタンの位置や縫い方その他諸々調整できる。特にボタンの位置については少し下げて首元を変えたいと考えていたので非常に助かった。ただただ満足がある。自分の体型にフィットした完全に好みのシャツが10000円。既製品の5000前後のシャツをサイズの合わないまま着続けるのと比較すればどう考えても安い。本当にオススメです。

無意味なことと美しいこと

不思議の国のアリスを読んだことがあった。当時プレイしていた「素晴らしき日々」にそれを引用したと思われる箇所が散見されたからだ。きっと物語に関係するに違いない。何か強烈な教訓が仕込まれてるに相違ない。そう確信して読んだ。

 

無意味だった。ただ無意味だった。当時の自分からすれば滅茶苦茶だった。

ある日アリスは穴に落ちて不思議の国に迷い込む。不思議の国の住人達がする話は、筋が通っているようで全く通っていない。論理も常識も通用しない世界をアリスは冒険し、そして夢から目覚めるー

記憶が曖昧だがこんな話だった気がする。要は論理が滅茶苦茶な上に夢オチ。読み取れるものなど何1つない。こんなゴミ2度と読むか。そんな感想を持った記憶がある。

 

先日とあるブログを読んだ。小説だった。「あとは任せたぜスイッチ」でググれば見つかるだろう。辛くなる度に「スイッチ」を押すが結局何も起こらない。恋人(名前がまた面白いが忘れた)と上手くいかなくてまたスイッチを押すが何も変わらない。ただそれだけ。多分、何の意味もない。

 

良かった。素直にそう感じた。何故良いかと問われると説明が難しいが、強いていうなら美しい。不思議に満ちている。それは色々と有耶無耶なまま最終回を迎えたアニメの感想にありがちな「謎が残されているのが良い」のような、分かったような口振りで語られる「不思議」とは違う。そもそも無意味なのだから、謎など初めからない。ここでいう不思議とは、この世とは違った論理や倫理の体験だ。荒唐無稽なのに、「こんな世界があってもいいのかもしれない」と感じる。1つの可能性と感じる。だから美しい、というとそれは飛躍があるかもしれない。だが大体、そういうことだ。

 

ずっと「意味のあるものだけが大切だ」という命題に縛られていたように思う。分かりやすい例を挙げれば花より団子、つまり桜の美しさを理解できなかった。芸術が全く分からなかったし、小説を読んでも「で?」となるだけだった。

 

今ようやく美しいということを理解しつつある。美しいことは必ずしも意味を伴わない。いや恐らく意味のある美しさなんてない。美しいものは美しい。それ以上でも以下でもない。美しいから何だと問う人は、美の本質を理解していない。良いものはそれだけで良い。そのことが、あの頃の自分はわかっていなかった。